千羽鶴
(1953)
監督:吉村公三郎


縋った愛人に捨てられて以来
お節介という形で粘着し続ける栗本ちか子に
男性に頼らずには
生きることも儘ならない太田夫人
二人とも蛇のように
いつの間にか忍び寄り
標的に纏わりつく。


その描写に恐怖を感じるのは
同じ素質が自らの奥底に存在することを
自覚させられるからだ。


だからといって
太田夫人の娘のように
愛する男性に
気持ちを隠すことで
愛を伝えるような方法だって
もう取りたくない。


女性が「自立」
と声高に訴えるのは
相手をも
自分をも
殺してしまうほどの情念を
元来持っているからであり
自立はその情念から乖離した
自分を持つということでもあると思う。
それは一種の防衛策ですらある。


この映画が愛人関係の縺れという
ありきたりな設定であるにも関わらず
迫りくるモノがあるのは
各々の女性が
各々の情念の極みであるからだろうか。


ストーリーの盛り上がり方が
古くて新しかった。



眠れる美女
Das Haus der schlafenden Schönen
(2005)
監督・脚本・主演:ヴァディム・グロウナ


原作では川端さんの変態的フェチズムが
全面的に押し出される中での
老人の性と生と死。
という感じだったが
こちらは性を通しての
老人の死生観が
原作よりもわかりやすく描かれていて
どちらも違った魅力を発していた。


死に際というのは
全くもって難しい。