四大浮世絵師展 〜写楽歌麿北斎・広重〜
@「えき」美術館


大充実展示会だったけど
やっぱりさっぱり凄かったのは
HOKUSAI KATSUSHIKA!!!


真新しい遠近法と戯れるようにして描かれた初期の作品たちは
そこに描かれんとしたものだけでなく
その画期的手法へのワクワク感まで鑑賞者に伝えてくれる。
後の彼のビビッドな構成は遠近法を味わいつくそうとした末に
自ずと生まれたものなのかもしれない。
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あの有名な「赤富士」に痛く感動して
次の作品に目をやると、そこには「青富士」。
同じ版を使ったというのに全く異なる感動を携えていた。


ひとつのあるモノが多面性を持ち合わせいる、
というのは、なるほどそうであろう、と頷き易いのだが、
その上それがまったく異なる個性であって
しかも両方が両方の美しさを持っている。
そんなコトが往々にしてあったりするものなのだろうか。


光の美/影の美、なんてゆー有り得そうな生半可なものではなくて
赤の美/青の美、という対極にある美をひとつのものが持つという贅沢。


ただ、そう、時間の経過や環境の変化という軸をあたえてやれば
対極の美だって、持ち得ることはあるんだ。




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「現実の富士」は写実的な様相をしており、
「映しこまれた富士」はイメージの中の富士山像。


当時の日本画界に写実主義/印象主義なんて観念があったかどうか分からないが
彼がその2つの観念を既に自分のものとしていたのは明らかだ。


最も感動的な事象は、富嶽三十六景においては
人と富士山がともに描かれており
その中で2つともが美しいということだ。
富士山が人を凌駕するわけでもなく、
人が富士山を征服するのでもない。


富士山は「神」のような存在だし、
当時においてはより一層そうであっただろう。
その神と同等に人を描くというのは
ものすごい人間愛だと思う。


ふと、明治維新なんてなくても
下からの民主主義運動は
起こり得たのではないだろうかと思わせられた。


なんとも新しい思想をふんだんにもった人物だったんだな。
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