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周囲との関係性とかそーゆのじゃなくて
ただただそこに愛があって
それでいて成立する。
なんて理不尽で唐突なんだろう。
一種の暴力ですらある気がする。
「親とか婚約関係とかじゃなくて、
きみは何が欲しいんだ?」
なんて恐ろしい質問なんだろう。
その我欲の扉は開けられて良いんだろうか。
[追記]
そう。
あらゆる予期せぬ「暴力」は存在するのだ。
認めたくなくて、失いたくなくて、否定してみたけれど
存在するのだ。
存在するものは全て失われていく。
ただそれだけのこと。
「きみは何が欲しいんだ?」
ひっかかったのは、
とても重要な質問だったから。
欲しいもの。
それはちゃんと分かってる。
ちゃんと、分かってる。
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至極のラブサスペンス。
なぞって作られたんじゃなくて
先駆者として作られたから
勢いがあってまっすぐな映画です。
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大衆とはいつもいつも愚かです。
でもそれより恐ろしいのは
強き人が愚かであることだと思う。
弱い所を見つけて、叩きのめすことなんて簡単で、
だけど、そこには、何も、何もない。
完璧なことなど何処にもない。
だから敬うんだと思う。
敬って、尊んで、その時始めて全ては意味を持ち始めるんだ。
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■ウィンターリトリート
先生は言いました。
I'm almost crying.
I'm stupid, and I don't have the way to help people.
So, I just make a delicious and beautiful tea.
「座る」ことはセンシティヴになるための修行です。
センシティヴになれれば、もっと感動できるようになる。
センシティヴになれれば、失わなくても済むのかもしれない、
と最近思う。
例えば失いそうになったとしたら、、
かける言葉がみつからなくて、ずっと不安だった。
かろうじて、もっと与えてあげればよかったと
思うのが精いっぱいだった。
失われたものは絶対に戻ってこない。
だけど、まだ完璧に失われたのではないとしたら、
その前に大切な事に気付けたとしたら、
失わなくても済むかもしれない。
だから研ぎ澄ませなくちゃいけない。
■七草粥茶事
新年早々、またまた茶事亭主をさせて頂きました。
やっとこさ、
茶事が掴め始めました。
もっと色んな経験して、
色んなモノに触れて、
色んな知識を身につけて、
もっといいお茶事がしたいです。
さまよう声。
代替が利かないことなど、あってはならない。
それはもちろん、
個人が前任者とまったく同じ様に機能するということではない。
人が変われば、やり方が変わる。
目的を達成するための方法はいくつでもあるということ。
いや、
その人でなければならない、
などと言うことが、あったりするのだろうか。