小学生だったか中学生だったかの国語の教科書に
義足の少年がいた。
彼の名はたぶんあーちゃんだったと思う。


あーちゃんの義足は都度都度ぎぃぎぃ鳴った。
耳を覆いたかった。


「一般常識」を「みんな」が備え付けていないように、
一般的に備え付いているとされている物事を備え付けていない、ということは
往々にしてある。


備え付いていないが、どうしても必要なもの、があることも、往々にしてある。
そんな時は、「義足」を自らの手で備えるのだ、
例えぎぃぎぃと鳴って、不快でも。
不協和音となって、不快がられても。


不協であろうとも、重要なのはコミットすること。
でないと関係性はスタートすらしない。