私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)


なぜユダヤ人は迫害されなければならないのか。


私の直接の知人にはユダヤ人はいないけれど、
それは他人事では全くない。


彼らの中の「天才たち」を私は尊敬の念をもって見上げることがあるし、
彼らは世界を大きく動かすこともしばしばある。
その一方で彼らは歴々と、迫害を受け続けてきた。


この、現世界的にも史実的にも大きな影響を与えてきた「迫害」の理由が
なんとも不透明であることは恐ろしく、
またそれは私自らの中の「迫害」を暴く鍵となってくれる、
そんな気がするからかもしれない。


筆者の分析はきれいごとでは収まってくれないし、
わかりやすい理論に収まろうともしない。


迫害への複合的な要素をひも解く作業は
世界地図や歴史をなぞる作業というよりは
ヒトが悪気なく陥ってきた論理を明らかにしていく。


筆者は、彼らが少数民族であったから、とか、
歴史の流れとして、のような周辺的な要因を
明らかにするだけでは許してくれず、
ユダヤ人が保有する迫害を受ける特性に迫りゆく。


筆者が示してくれた要因の一つが、
私がここ1カ月ほど考えていてたテーマとリンクした時には
読むべくして私はこの本を読んだのだと思わずにはいられなかった。


それは、
出来事を自責として捉えられなくなった時、
人は多少の自らの罪は許されるという甘えを持つのではないか、
という考えであり、
ユダヤ人はどこまでも問われる続ける自責を
一身に受け入れることを迫られ、戦っている人たちだということである。


やはり、他人事ではなかったのだ。